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シリーズ:「摂津国衆・塩川氏の誤解を解く」 第二十三回


シリーズ:「摂津国衆・塩川氏の誤解を解く」 第二十三回

飯盛城の山下(さんげ)「北条」を考える(その2・導入部)

[変わらぬ「人気者歴史観」]

大河ドラマ「麒麟がくる」で知ったのは、いくら「最先端の学説」を“小骨”として導入しようが、“大骨”は昔変らぬ「人気者歴史観」が根強いということ。

あの大河独特の「“白い神酒徳利”と“白磁の盃”」や「チャンバラ主体の合戦」が何も変っていないように。

「鎌倉殿の十三人」が話題ですが、この調子だと、「多田行綱」をはじめとする「摂津源氏」も、せいぜい「鹿ケ谷のチクリ役」か、「ナレーションだけの登場」(越前・朝倉攻めの「池田勝正」みたいに)か、あるいは「存在すらしない」(2005年の「義経」)という扱いでしょう。

「鵯越の逆落とし」は実は「源義経」ではなく「多田行綱」のしわざでした!(玉葉)、なんてのをやってくれたら斬新なのですけどねえ。

そして今や「悪人」として全国大ブレーク中の「摂津晴門」。

“斬新な存在”かと思いきや、結局、小学校6年時の記憶の「国盗り物語」(1973)における「オロオロしていたナカツカサ」こと「上野清信」(演:北見治一さん)のポジションとあまり変わってない気がする。確か「明智光秀」(演:近藤正臣さん)と言い争うシーンもありました。

(そういえば80年代の「片岡鶴太郎」さんのネタに「コンドーです」がありましたね。)

[山下町“まちおこし”の一案]

そしてこの「摂津晴門」が、実は「ヒーロー」であった事を伝えているのが、これまた摂津・塩川氏の事跡を記録した「高代寺日記」(内閣文庫)のみ?というのも、いつもながら不思議なめぐり合わせです(第21回参照)。

どうしていつも塩川氏の関係者は、「陰湿な汚名」ばかり着せられるのでしょうか…。

そこで、汚名を挽回すべく、ご提案をば…

まずは「大阪青山大学短期大学部」前の「織田信長、塩川長満、森乱」の群像に倣い、山下駅前にも、「東谷と縁のある歴史人物の銅像群を立てる」、なんて案はいかがでありましょうか。

ラインナップは以下の通りです。このソウソウたる顔ぶれを御覧下さい。

* 京から「足利義輝の娘」(十三歳、一条房家の孫)を救い出し多田荘にたどり着いた、旅装の「摂津晴門」。(ボタンを押すと鶴太郎さんの声で「じゃが~」「それで~?」「コンドーです」など、100種類ものセリフが出ます)

* 「よくぞここまで…」と二人を出迎える、塩川“最近ツイッターも始めた伯耆守”国満。(歩きスマホは危険です)

* 視線を交わして思わず頬を染める「義輝の娘」と若武者「塩川長満」。(赤LEDでエロにならない程度にライトアップします。)

* 若い二人に挟まれて間がもたず、もはや“鼻をかむしかなかった”細川トミー晴元。(フェイスガードを着けているのでご安心下さい)

* 「山下」に隠棲して地道に「宗砌(そうぜい)流連歌」に邁進していただけなのに(第14回参照)、軍記物類において「山中鹿之介」、「吉川経家」という戦国ヒーローの“引立て役”として「卑劣な愚将」役を押し付けられ、「山中鹿之介」をモデルにした黒澤明監督の戦国娯楽時代劇「隠し砦の三悪人」(1958)においては、“悪逆、卑劣な上に、表にも出て来ない内弁慶な大名”「山名殿」のモデルにされ、さらに「隠し砦~」をアメリカで“SF風”にリメイクした「STAR WARS」(1977)に至っては「矢表に立たない卑劣な銀河帝国皇帝・ダース・シディアス ”Darth Sidious”」のモデルにまで結果的に(多分本当のこと)なってしまった「山名禅高(豊国)」。(コイツに全部持っていかれた…)

これらの銅像を並べて、題するは「日陰者の郷」(うわー!盛り下がる~↓↓)

もちろん、これだけに留まりません。山下町内においても

* 「ダース・シディアスのモデルにもなった山名禅高・隠棲の館」という怪しいテーマパークを捏造する(宗砌流連歌教室もございます)。

他に、「オリジナルグッズ」も続々販売!

* 摂津晴門が人生を切々と唄いあげた名曲「世のしくみ」、B面「糸千代丸よ…」(アナログ盤かい!)

* 晴門のギョロ目(ホログラフィ)をラベルデザインした銘酒・「俄政所」

* ク○ネックス社とのタイアップ。細川晴元ブランドの高級ティッシュ“江口”

* 銘菓・「銀河帝国」(なんでやねん)

等々、アイデアは今や無尽蔵です(塩川氏どこ行った?)。

なお、冒頭画像は今年第1発目で(映画「スターウォーズ」公開に絡めて)使う予定でした。蓬莱峡の取材では、岩から降りられなくなって死にかけましたが。

[「三好さん」]

1980年代後半、大阪の職場で「三好さん」という先輩に、大変お世話になりました。

偶然ながら当時私は、出版されて間もない今谷明氏の「戦国三好一族」(新人物往来社)にハマっていました。しかもこの「三好さん」のお顔がなぜか肖像画の「足利義輝」に似ておられ、記憶の中で「天文・永禄」と「昭和末期」がなにやら混沌と入り混じっております。

その職場を退職して7~8年たったある休日、京都の嵐山でこの「三好さん」とバッタリ出会いました(!)。奇遇に感激した私は、思わず「三好さん」を「嵐山城」登城に誘ってしまいました。

そしてこの「足利義輝似の三好さん」と共に、「香西元長」「細川晴元」ゆかりの嵐山城にたどり着いたところ、それまで晴れていた空が一転「雷雨地獄」と化し、二人してズブ濡れになってほうほうのていで下山しました。(細川晴元のタタリか?!)

今冷静に考えてみると、「三好さん」は別に「歴史好き」でもなんでもなく、本当にいい人だから、私の申し出を断り切れなかったのだと思います。(あの時はすみませんでした)

「三好さん」のせっかくの京都観光の休日を、過酷なものにしてしまった私…。しかも、よりによって(あの高峻な)「嵐山城」だなんて…。あれは「芥川山城」(三好山)にすべきだった…。←(違う!!!)


さて、「第2会場」へ移る(外部リンク)としましょう。

(2020年11月25日、文責 中島康隆)

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