シリーズ・「摂津国衆、塩川氏の誤解を解く」 第七回
番外コラム:獅子山の城から、海が見えた!?
古城山山頂の「主郭の南斜面」の木々の間から、南側を高倍率の双眼鏡で遠望してみます。
樹木が邪魔して見づらいのですが、運が良ければ東畦野のゴルフ場越しに、大阪南港のコスモタワー(高さ256m)上部や、舞洲の大阪市環境局の金色の煙突(標高120m・フンデルトヴァッサーデザイン)の「上から4分の3ほど」をかすかに見ることが出来ます。
この方角は人工島や工場が密集していて、わかりにくいのですが、よく観察すると人工島の間に青黒い面が広がっています。これは大阪市沖から堺市沖、高石市沖、そして泉大津市~岸和田市にかけての沿岸を含む大阪湾の海面とおもわれます。
地図でみるとこの赤い線の範囲です。(上図右)
つまり、わずかながら今でも城山から海が見えるということです!
山下でアマチュア無線をしておられる方が、岸和田との通信が非常に感度良好なのを不思議がっておられましたが、間に障害物がないわけですから道理にかなっていますね。
東畦野のゴルフ場はもちろん近代の造成ですが、もともと定高性のある大阪層群という地層の「丘陵背面」に造られているので、造成前と標高に大きな差はないと思われます。
現在主郭の南側斜面は、おそらく城を破却した際に人為的に崩されており、本来の形態や虎口(こぐち・進入路)がわかりにくくなっていますが、軒瓦を含む近世初頭の瓦片や石垣の築石、裏込め石と思われる円礫が南斜面一帯に崩落、散在しており、位地的にも山下町に面した城の「顔」にあたるため、石垣の上に近世的な天守や櫓などの総瓦葺きの建物が建っていたと思われます(上図左は山下町から見た模型と現状との合成)。
かつての櫓からの眺望はもっと良かったでしょう。
(山下町(=城下町の意味)の中央を南北に貫く通りは城山山頂中心を「見通し」ており、町が城を基準にプランされたことがわかります。近隣の城下町では三田、有岡(伊丹)、茨木でもそれぞれ推定される天守位置は町の通りを見通しています。監視の意味もありますが、同時に新スタイルのランドマークを「見せる」という演出効果を意識しています。)
そして埋め立て地のない近代以前は、堺を含む泉州北部の沿岸を眺められたことでしょう。残念ながら当時はまだ望遠鏡は発明されてなかったようですが…。
「塩川長満が天守から泉州沿岸を眺めていた」なんて空想も、さほど無理な事ではないのです!!
(つづく)