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シリーズ:「摂津国衆・塩川氏の誤解を解く」 第二十二回


シリーズ:「摂津国衆・塩川氏の誤解を解く」 第二十二回

飯盛城の山下(さんげ)「北条」を考える(その1:総論ダイジェスト)

“無城下町論”の下、忘れられた「北条・市場」や「津の辺」を中心に

ごあいさつ:「東谷ズム 第2会場方式」の試み

①はじめに

②「無城下町論」の問題

③飯盛城の「大手」の向きはどっち?「侍町」はどこ?

④飯盛城の直下「北条」に存在した「市場」

⑤キリシタンの「城下集落」ばかりがフィーチャーされる問題

⑥飯盛城の山下と「軍事」の問題

⑦飯盛城の外港は「津の辺」

⑧城を見せる演出「ヴィスタ」もあった??

⑨北条に短期間だけ存在した?「謎の礼拝堂」

ごあいさつ:「東谷ズム 第2会場方式」の試み

ご無沙汰しております。

さて、東谷ズムのイベントが昨年、2019年6月で終了してしまい、加えて今年はコロナ禍も加わって世の雰囲気までも一変しました。

幸いにも管理人様のご好意で、連載「摂津・国衆 塩川氏の誤解を解く」の方は継続させて頂いておりますが、昨今はホームページ自体の更新情報もまばらとなり、それに反比例して自分の方は、書くべき記事が「一庫ダムの水」の如く貯まっており(汗)、膨大すぎる情報に日夜「スランプ」を繰り返しております(汗)。

これら全てを吐き出すと、「ホームページの独占私物化」になりはしないか、という思いと、現状では、記事の修正等も管理人様のお手を煩わせねばならない為、内容の自己管理の必要性を痛感してきました。加えて、文中にもっと「挿入画像」を入れられないか?(現状では容量の限られた画像が2点のみ)という欲求もあり、しかしながら「東谷ズムホームページ」での掲載は続けたい、などの葛藤が交錯していました。

なお、よくよく考えてみれば、始めから「東谷ズムホームページ」においては「難解な長文」など求められていなかったわけで、自分で勝手に墓穴を掘っておりました。

加えて、自分は「東谷ズム」イベントにおいても「第2会場」(山下町自治会館)での展示でありました。実を申せば、本番中は自分の持ち場を離れられないので、私は「東谷ズムメイン会場のイベントや展示、お店」などを“LIVE”で見たことが無いのです(汗)。

四代目「玉田玉秀斎」さんの東谷歴史講談「すず姫物語」(2017)なんかも、youtubeで初めて観させて(汗)頂きました。(←今でも見られます!。本年度「泰巖歴史美術館」蔵の「塩川伯耆守宛 織田信長朱印状」が公開(連載第20回参照)された今、あらためてこれを観ると非常に感慨深いものがあります。というか、最近「山名禅高」のことを調べていたら、何故か「三代目・玉田玉秀斎」の記事にたどり着いて、これまた驚いた次第です。この記事も「2020年の1発目のネタ」の予定のはずでしたが、今や「一庫ダムの水」にかき消されて…)

それはともかく、いっそのこと、今回から連載においても、「画像」及び「さわり」や「解かり易い要約」を、当「東谷ズム」のサイトにいつも通りにアップし、そこからリンクを張るカタチで(いつもの)「やや難解で込み入った長文を掲載したブログ」に飛ぶという、「東谷ズム第2会場方式」を試みることにしました。

それにふさわしいかどうか、テーマもちょうど「東谷」からやや離れて、舞台を「北河内」に移します。

といっても、あくまで「塩川氏の研究の為に、三好氏の拠点を覗いてみる」というスタンスではありますし、内容そのものに変化は一切ありません。いつもの「塩ゴカ節」です。(←お茶漬けが食べたくなるフレーズ)

取りあえず、上手くいくかどうかわかりませんが、これからも変わらぬ本連載を宜しくご贔屓の程、お願い申上げます。

①はじめに

[飯盛城の「無かった?城下町」に着目した理由]

さて、前回予告させていただいたように、今回から、「摂津・塩川氏」とはしばしば“敵対関係”にあった「三好長慶」の「河内・飯盛城」(四條畷市、大東市)の、特に山下(さんげ、城下町)についてしばらく見てゆきたいと思います。

これは昨年秋に「膨大になり過ぎて一旦スランプになった」(第18回冒頭)題材であり、幾人かの方に不義理も重ねており、なんとか吐き出してみたいと思います。今回はその「1発目」として「総合ダイジェスト」してみました。が、この長さよ…(汗)。

ともあれ、「飯盛城」は、「摂津・芥川山城」(現・高槻市)と並ぶ「三好政権」最盛期の拠点城郭、政庁であり、また三好長慶の“最期の地”でもありました。

といっても、別に「塩川氏の研究」から離れるわけではありません。

相変らず、塩川氏の拠点城郭が「山下城」(やましたじょう)などという後世の酷い名称で呼ばれています。この名を使うだけで「塩川氏に対する誤解が4つ」もれなくセットで付いてくるのです(連載第10回参照)。

戦国時代の人は、「山の上」に城を築いて「山下城」と呼ぶような、「漫才のボケ」みたいなことは決してしません(例外があるとすれば、城主、城将の名字が「山下」である場合)。しかもこれは、公的な「遺跡名称」でもあり、現在も「城郭の専門家」が率先して使うので、問題は非常に深刻です。

そのくせ、新聞などで「山下町」や「下財町」の歴史が紹介される際、相変らず「製錬の町」というフレーズばかりが使われており、「山下」の語源である「元・城下町」であった側面など、絶対に一言も紹介されないのです。(行政はこの点、肯定も否定もせず、“ダンマリ”を決め込んでいるように見えます…)

幾度も繰返しになりますが、昭和51年(1976)の「川西市史第2巻」により、「山下町は天正二年、銅などの製錬のために造られた」と記述されてしまい、近年も中西裕樹氏(高槻市教育委員会)が著書「戦国摂津の下克上」(戎光祥、2019)ほかにおいて、山下町が塩川氏の城下町起源であることを一貫して「否定」されていますが、この両者とも、理論的な根拠がほぼ呈示されておらず、その「考証」はあまりにも粗雑としか言いようのないものです(連載第10回、12回、18回参照)。

しかも中西裕樹氏による“都市、城郭等の分布図”(戎光祥「飯盛山城と三好長慶」P37のタイプ)は、「三好長慶」に関する書籍等を中心に、須藤茂樹氏や天野忠幸氏にも引用されており、今や「城下町説」はほぼ「孤立無援」です(どなたか“後巻(うしろまき)”を!)。

しかし中西氏らが「城下町が無かった」とされている「拠点城郭」は、なにも「塩川氏」のような“小者”ばかりではなく、ご自身のフィールドである、「芥川山城」(高槻市)や「飯盛城」もまた同様なのです。というか、私は中西氏の一連のご主張の中に、「この二つの「大きな山城」でさえ「城下町」を持たなかったのだから、「山下城」のような「小さな山城」に「城下町」など、あるはずがないだろう」といったニュアンスを感じ取っています。

なお、塩川氏の「山下町」の成立時期は、塩川長満時代の「天正期初頭」ですので、40年も前である「天文期初頭頃」の両城と比較すること自体、まず「無意味」ではあります。しかしながら、私にはそれとはまた別に、

「山上に多くの家臣が居たはずの「芥川山城」や「飯盛城」に、「城下町(この場合は町場)が無かった」とは、一体どういうことだろう?。近代軍隊が「給食設備」等を伴って駐屯するのとは違い、中世末の多くの人間が「都市という装置」の無い環境で集住すれば、戦争どころか、そもそも生活自体が出来るのか??」といった疑問が頭から離れなくなりました。常に自分が見たいのは、「具体的な人の動き、生活の動画」のようなものだからです。

(個人的には、youtube でも見られる 、ドイツのZDFが製作した番組、“Ein Tag in Köln 1629 / Ganze Folge Terra X” (1629年、ケルンのある1日)のようなスタイルが、「歴史復元における理想形」の一つです。)

ついでながら、家臣が家族ごと住んでいたという飯盛城内では、しばしば「出産」すらあったと思われ、例えば近世の「産婆」さんのような存在や、医者や薬屋が住んでいた「山下」くらいはあっただろう、とどうしても思ってしまうのです。

ともあれ、塩川氏の拠点の「城下町」、あるいはその前段階にあったかもしれない初源的な「市場の段階」等を考察する際、現在「城下町が無かった」と解釈されている「河内・飯盛城」の「実態」を凝視しておくことは、大変意義がある、と思われました。

近年の城郭研究や都市研究、文献史学や考古学の進化、発展は大変喜ばしく、私自身もその恩恵を少なからず受けてはいるものの、畿内を統括した為政者の「政庁」でもあり、家臣やその家族達もたくさん居住している「拠点城郭」に対して、「城下町は無かった」というフレーズを安易に用いることは、あまりにも「大味」であり、やや「丸投げ」、「他人事」の印象さえ受けてしまうのです。

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なお余談ながら、前回少し触れましたが、私は「塩川国満」が天文初頭頃、「大坂本願寺」と同盟関係にあった「細川晴国」の旗下にあった時、「真宗寺内町」である「小浜町」(宝塚市)の成立に深く関わっていたのではないか?とみています。要するに塩川氏にとって天正期の「山下町」という「新都市の造営」は、天文期に「小浜町」で“多少は経験済み”だったかもしれない、ということです。

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続きを読む→ note.com アカウント名は“利右衛門”です。

(2020,11,06 文責:中島康隆)

東谷ズム第2会場 https://note.com/tohbee_/n/nfc8ca7713e64

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