「摂津国衆・塩川氏の誤解を解く」 第二十七回
「塩川長満・娘 慈光院は一条家政所だった!」の“長い前書き”(導入部)
さて久々にというか、2020年冒頭の連載第19回(higashitanism.net/shiokawa-s-misunderstanding19/)において、京の妙心寺塔頭「慈雲院」の「池田家墓所」にその“墓”を確認した「塩川長満の娘・“妹”」こと、「慈光院」をフィーチャーしまして、今度は「塩川姉妹と摂関家や朝廷」というテーマにシフトしてみたいと思います。
その「本番」に移る前に“ちょっと準備体操”を、というわけで、書き始めた「前書き」が、例によって“膨らみ過ぎた”のが今回の分でございます(汗)。
ともあれ、そのラインナップは以下の通りです。
①摂関家の「家司」と、摂津・塩川氏との絡み
②群書「織田系図」の「信忠妻:塩川氏」情報は「岐阜」仕込みか?
③「姉」が再嫁したのは「一条内基」?「二条昭実」? 「荒木略記」再検討
④「後陽成上皇」の心を開かせた「山名禅高」の「連哥テニヲハ」
これらは皆、昨年の3月~8月頃に暖めていた記事ですが、ご多分に漏れず、他のテーマで手いっぱいとなり、ずっと「後回し」にされていたものです。
特に、「姉」こと「寿々」に関しては、目下その「謎」に苦しんでおりまして…。
しかしながら、大河ドラマ「麒麟がくる」の時代も、いよいよ「天正五年」を過ぎ、既に「織田信忠」も青年に成長しており、果たして今後、「塩川長満やその娘」がせめて「ナレーション部分」(墨絵の地図)にだけでも登場してくれるのか?といった局面に来ました。
ただ、ドラマでは「松永久秀の謀叛」を“大フィーチャー”しすぎたので、もはや「荒木村重の謀叛」は「略式ナレーションのみ」に終りそうな気配すらしております。
それにしても、「摂津晴門」(“つのくにのはるかど”か?)に「明智光秀暗殺」の挙行までさせたくだりは、以前「細川晴元」に「三好長慶暗殺」を挙行させたのと同じパターンというか、
「その設定、“史実”にウソをついてまで“必要”なものなの?」といった印象です。
しかもこの両名共々、「塩川国満」の元に身を寄せて逗留(「細川両家記」、「高代寺日記」)している「塩川ゆかりの人物」でもあるので、今やわが「川西市・山下町」は
「麒麟がくる、“暗殺者の里”」
もとい、
「麒麟がくる、“暗殺未遂者”の里」
いやいや、
「麒麟がくる、勝手に“暗殺未遂者”にされちゃった者の里」
というキャッチコピーで観光誘致、 出来ませんわなぁ…。
さて気を取り直しまして、今回の第27回連載は、地味なテーマながら、「良いニュース」と「あまり良くないニュース」が混在しておりますが、特に第②章の
「群書「織田系図」の「信忠妻:塩川氏」情報は「岐阜」仕込みか?」
は、塩川長満の娘(寿々)が「織田信忠」に嫁いだことを「一段補強したもの」となっております(!)。しかも、この功績には、かの「水戸のご老公」(徳川光圀)が関わっていたという経緯もあったのであります。
あと、「二条昭実」(晴良の子)の弟であり、醍醐寺門跡・座主の「義演准后」が、とある理由から、なんと、「豊臣時代の多田院」を目撃しているという、これまた珍しい記事もご紹介しておりますので乞うご期待!
加えて「朝廷との関係」と申せば、「後陽成上皇」の使者「西洞院時慶卿」と「シスの暗黒卿」のモデル」でもある「山名禅高」(汗)との、大変興味深い絡みもございます。
ラストにおいては、「麒麟がくる」に登場した”天台座主”「覚恕」(演:春風亭小朝さん)でおなじみとなった「曼殊院門跡」にも、近世初頭に「謎の塩川氏」がいたという、新たな知見も…
それでは、第2会場へ(リンク)移るとしましょう。
(つづく。2021,01,12 文責:中島康隆)