歴史ロマン

シリーズ・「摂津国衆、塩川氏の誤解を解く」 第二回


寿々(鈴)姫と三法師の周辺①

―きっかけは荒木村重の反乱か―

以下は東谷ズム2015~2016展においてパネル展示した文章です。

「塩川姉妹について

三法師織田秀信が、塩川氏の血を引くことは一般には知られておらず、不思議な印象を持ちますが、彼に負けず劣らず不思議なのが塩川長満の娘二人です。

姉は織田信長の嫡男、信忠に嫁ぎ、岐阜城主夫人に。

妹は後に池田恒興の嫡男、元助に嫁ぎ、やはり岐阜城主夫人に。

姉の夫は本能寺の変で義父と共に死んでしまい、岐阜で未亡人に。

妹の夫も小牧・長久手の合戦で義父と共に戦死、岐阜で未亡人に。

姉は次に一条内基(うちもと)の北之政所になり、

妹もやはり一条内基の政所になりました。これらは秀吉の命によるようです。

共に息子より長生きして、晩年は寺に隠棲し、

姉は寛永10年に近江坂本の来迎寺で、

妹は寛永14年に京都の妙心寺で亡くなりました。

姉の息子秀信は、文禄元年に岐阜城主となり「岐阜中納言」と呼ばれ、

関が原の合戦では西軍に属し、岐阜城で東軍を迎え撃ちますが降服。

そのまま岐阜城は廃城となりました。」

塩川氏というのは、とにかく不幸というか、なんというか…

歴史上における重要な役割を無視されたり、もっとヒドいのは書き換えたりされ続けてきました。それはこの21世紀も続いています。

前回のプロローグで書きましたが、大河ドラマ「真田丸」の作者でもある三谷幸喜さんの小説、映画「清洲会議」では織田信長の孫、三法師の母親が武田信玄の娘「松姫」というストーリーでした。はっきり言って乱暴な設定で、もし塩川長満の霊が見たら

「またやられた…。まっ、いつもの事だけどね…」

と失笑するかもしれません。こんな事がまかり通るのはそもそも

「塩川長満の娘が織田信長の嫡男信忠に嫁ぎ三法師を産んだ」

という史実自体、川西市という地元も含めて知られていない、発信されていない、というのが大きな要因でしょう。「塩川長満」という名前さえ地元で知られていないのです。

三法師の母親については諸説ありますが、史料の良質さや、状況から検討すれば塩川長満の娘、寿々姫というのが圧倒的に可能性が高いのです。

せめてこの東谷ズム公式ホームページという「寿々姫の故郷のメディア」では彼女やその妹の埋もれた史実を掘り起こし、発信して行きたいと思います。

では、せいぜい摂津国川辺郡の国人領主であった塩川長満の娘が、どういう経緯で織田家家督の織田信忠に嫁いだのでしょう!?

織田信長と言えば、気に入った部下を見出すと、出自を問わずどんどん抜擢したことで知られています。その法則が塩川氏のような地方豪族に対しても同じだったということが考えられるでしょう。

信長史上、塩川長満という存在がフォーカスの中心に映った出来事。

それが天正六(1578)年末に織田方の有力武将で伊丹有岡城主であった荒木村重が毛利・石山本願寺方に寝返った事件でしょう。

こんにち我々は織田信長を万能の天才のように扱っていますがそれは結果論であって、現実に生きた彼にしてみれば、この時点で足掛け9年に渡って攻略できない摂津国の石山本願寺という存在は「越えられない壁」のように思えたはずです。

摂津一国が毛利・石山本願寺方に寝返ることで、さらに西の羽柴秀吉を中心とする播州攻略部隊はハシゴをはずされ宙に浮くことになるのです。

そして何度も強調していますが、この事件ではすべての摂津衆が村重に従う中で塩川長満だけが最初から織田方に踏みとどまっています。

織田方にとって大きな危機であり、塩川氏史上、最大の事件でした。

しかしながら、昭和40年代になって川西市史や伊丹市の荒木村重関連の歴史書が発刊されるなかで、担当者の偏った史料の選択や思い込みから

「塩川氏も他の摂津衆同様に織田信長が摂津まで進出してから織田方についた」などと実に屈辱的な記載がなされてしまいました。

(それらを参考にしたWikipediaの「有岡城の戦い」の記事をご覧になってみて下さい。「塩川国満」が、他の摂津衆同様に荒木方として書かれています。)

なお、同じWikipediaの「塩川長満」の項目には救われます。

記事の元記事「織田信長家臣人名辞典」を書かれた谷口克広氏は全国レベルで塩川長満の史実を発信されている数少ない研究者のひとりです。

話がそれましたが、荒木村重の反乱については長くなるので、また稿を改めて書く予定です。

ともかく、天正八(1580)年といわれる三法師の生年、「信長公記」における天正六~七(1578~79)年春の織田信長、信忠、塩川長満の動きから類推すると、荒木村重の乱における塩川氏の働きが織田信忠への縁談の引金になったと思われます。

(②につづく)

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