• 天文11年(1542年)頃に築城された獅子山の城(山下城)の山の下の町すなわち城下町として山下町が形成される。
- 天正16年(1588年)頃に豊臣秀吉によって廃城となり、その家臣屋敷跡に秀吉は「山下吹き」と言われる製錬の新技術が導入され、銅の量産に入ると、そこで働く人々で形成された下財(土の下の宝を掘る人すなわち金・銀・銅を掘る鉱山坑夫)と町衆(商人・大工・左官など日常生活に必要な技術者など)と呼ばれる山下町に分かれていきます。
- 江戸時代後期、天保14年(1843年)の山下絵図に「だんぢりくら」が記されている。幕末の頃に町衆が財力など力を持つようになり、山下(明治まで下財町は山下町の北と呼ばれて北の○○と言う)町には、この頃に南北二基の地車が作られたと思われます。
- だんじりは、二層唐風屋根で大屋根前後と小屋根後方に三方開きの御幣を立て、破風の前後彫刻は鳳が羽を拡げています。前舞台の左右二本の柱上部に正面が唐獅子・左右に象の彫刻。いずれも「阿吽」(あうん)を表しており、舞台と奥の部屋の仕切板の左右は「鯉の滝登り」が素朴に彫られています。
台座の前後にある穴は、それぞれ棒が差してあり、巡行の道中で方向を変える時に使っていましたが、コマの減りが強く現在は担手が肩を入れて持ち上げ回す。
- 祭典は、夏と秋の2回行われ、夏は平野神社左奥の祠 北野天満宮(7月25日前後の土・日曜日)、秋祭りは、本社殿 須佐之男命(10月17日前後の土・日曜日)現在は、宵に宮入し、翌日町内巡行を行っています。
文筆・魚屋町 藤巴力男
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